前にもちょこっと書いたけど、苫米地貢と「放送」(broadcast)について、ついでだから書いておこう。しっかり出版物に残っているので。

 

『千代女覚え帖』 苫米地千代子 (暮らしの手帖社 昭和55年6月1日刊)から引用

 

>>> 大正11年

貢さんはその頃、ラジオの研究に夢中のようでした。アメリカで開発されて間もない、この無線の電波に好奇心をそそられ、アメリカのラジオの本を抱え込んで、その翻訳に取り組んでいました。

 泊まった翌日でした。貢さんが原書を持ってきて、ページを開き、「お兄さん、これ何と訳したらよいでしょうか」と訊くのです。夫は、指された箇所をみて暫く考えていましたが、「そうだね、『放送』としたらどうだろう」と、答えました。貢さんは、「そうですね、それが一番ピタリの感じですね、『放送』にしておきましょう。」

 この問答は、私が傍聴きしたものですが、貢さんはその翻訳に依って、「無線集粋」と言う分厚い本を編みました。私は今、毎日のように身近に聞く「放送」の言葉に、言いようのない懐かしみを覚えます。貢さんは、日本放送協会発足のメンバーの一人です。

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ご存知の人も多いと思うが、「夫」、「お兄さん」は、苫米地英俊 ― 私の祖父である、念のため。戦後初の衆議院選挙で自由党から政治家に転身する前は、オックスフォード、ハーバードに国費留学した英語学者であった。