極東ブログで、佐保田鶴治「般若心経の真実」における、般若心経は、「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提」のマントラだけを唱えればよいという言説が話題になっているという話を聞いた。

私は、般若心経を読んで、空を説く般若心経の結びにマントラ(呪)があるのは、仏陀を教師と仰ぐ人たちには自己矛盾であると常々思っている。般若心経の最後の「ギャーテイギャーテイパーラギャーテイパラソーギャーテイボーディソワカ」は、般若心経から取り除くべきであると思っている。だから、佐保田/エリアーデ説とは、全く逆である。

勿論、「密教」という宗教(例えば空海の正純密教)で、「オンアビラウンケン」をとなえるのと同様な意味で、「ギャーテイギャーテイパーラギャーテイパラソーギャーテイ」をとなえるのは、親鸞を師と仰ぐ人たちが「ナモ阿弥陀仏」ととなえるのと同様、それは、それで、一つの宗教・思想として、その成り立ち並びに信仰を尊重するし、評価するのは間違いないが、般若心経という空を説く経の締めくくりが呪であるというのは、仏陀は腰を抜かすと思っている。